北欧の幻想的な夕焼けと落ち葉から感じたものを…


Vigelandsparken, Oslo
Vigelandsparken, Oslo

オスロの秋の朝は厳しい。普段歩く道も凍り、足元を注意深く見て、自分の全神経を集中させる。

滑らないようにつま先に自然と力が入る。当然普段より歩くペースも遅くなる。いつも視界に入っていたものの見ていなかった落ち葉の一枚一枚の色が見える。

私の足に踏まれ、誰かに踏まれ、そしてやがて土になる。

 

一ヶ月前は、雪のようにチラチラと落ち葉が木から落ち、地面もまだ凍っていなかったから、普通の速さに歩いた。時々舞い踊る落ち葉を見ては、ふと立ち止まったものだ。しかし、今はその落ち葉にも霜が降り、湿った地面はすっかり凍り、地面の表面はガラスが散りばめられたようにキラキラと光を発する。その道にまた絶えず落ち葉は舞うのだ。そんな葉の一生に毎日感動し、人間の年の重ね方に共通するものを見いだしながら学校へ向かう。

ジャケットの隙間から首筋に入って来る冷たい風、冷えきった乗り捨てられた自転車、枯れた花壇の草花が秋の終わりを感じさせる。

朝が弱い私には8時半からの授業なんて修行のような気分で、淋しくなるような寒さで、夜みたいに真っ暗で、なによりも眠い。そして半分寝たまま家を出た私に寒さという試練が外で待っている。でもその試練が私を目覚めさせ、気を引き締めさせる。

家から40秒のところにあるスーパに行き、焼きたてのパンを買う。焼きたてが買えるのも、早起きした特権である。ちょっと嬉しい気分になる。

手袋を片方無くしたからパンのぬくもりで手を温め、iPodでラフマニノフをかける。寒さと視界と今の自分の気分にぴったりだ。なぜだろう。

 

ラフマニノフの時には冷たさに感じるほどのひんやりとしたハーモニーと、その厳しい寒さをしのぐ暖炉のような温かくやさしい旋律。もしラフマニノフが南国の常夏で生きていたとしたらきっとこんな音楽は生まれなかっただろう。ふとそう思ったりする。

 

寒さは人間の神経や感覚をより研ぎ澄ませる気がする。

 

「練習」と勉強で得た「知識・思考」、それに磨いてきた「感性」は不可欠だと思う。そうやって日頃から自分が命をかけて作り上げて来た音楽は、誰の心に響くのだろうか。


誰かの心の奥にしまわれてしまった感情を引き出せる音楽。その音楽を生み出す自分の体、感情、感覚は、全て自分の生き方や人生に反映するものだから、毎日どう生きるか、どう考えるかという事を考えて生きていきたい。自分のピアノだけに上手い、すごいと言われるのは、逆に真の音楽家ではないように思ったりする。

 

そんな事を言っている自分自身はというと、寝坊して寝癖でボサボサのまま学校に走る毎日。とりあえずその二度寝の癖から直そう。