自然界から見えた音楽


Oslo, Norway 2011
Oslo, Norway 2011

どんなに入念な準備をしても、やっぱりやらかす。
大事な本番にむけて調整したはずなのに、へまをする。
そんな自分が情けなくなって、楽屋で小さくなる。打ち上げも上の空。
自分に対しての小さな苛立ちは、いつの間にか膨れ上がっていくもの。
どうして、と答えられない理由を求め続けるのは、辛い作業なのだ。
安定したクオリティーを保っている人からの景色はどんなんだろう。そんなふうに羨ましく思ってしまう。

音楽。
自分にいつでも忠実に向き合ってくれる。
いつだって自分を裏切らない。
だからといって、それは、自分に言いなりになる存在とは違う、きっと。

自分の都合のために腕を磨いて負荷をかけても、そういうことを、それはちゃんと見抜いている。
自分にとって都合のいい存在に作り上げたとき、音楽家ではいられない。
頑張った気でいる自分に何かを気づかせるかのように、音たちはスルスルと抜けて去っていってしまう。不思議と、それを追わない自分。本当は、心のどこかで分かってしまっていたから。

音楽は、呼吸をする。
日々、温度は違う。
喋らないけれど、言葉を持っている。
無理にコントロールしようとすれば、自然界の掟を破ったかのようにとてつもない反動が押し寄せる。
対人間と同じように、そっぽを向かれる日もある。
皮膚を通じての感覚のように、音楽も痛みを感じる。
自分がぶっきらぼうに鋭い矢を突き刺せば、距離を取られる。
音楽も生きているって、こういうことなのね。
何にも縛られず、美しく浮遊する命。
自由であることは大変だけれど、凛としたたくましさをもって磨かれていってほしい。
自然界の現象のように、支配することはできない。

本当は、きっと誰も心から求めてはいないものを量産することを続けていくと、忘れてはいけない何かが見えなくなる。
そこまでして自ら振り回されようとする選択。
混乱するのは何も自分だけではない。ふと見渡せば、周りは巻き込まれている。それに気づくのは、いつ。

先日、あるピアニストの演奏会に足を運んだ。
切り株をじっくり見ているような、年輪が浮かび上がる演奏。
この人が、これまで何度もステージに上がって見てきた景色。口にできないほどの苦悩。顔には出さずにずっと抱え込んできた深い哀しみ。
演奏家は、そこに留まることのできない響きに何を込めることができるのだろう。
決してこの世に遺してはいくことのできない、消え入ってしまうものに。

たった一回の演奏に一生が映し出される、ということの大きさ。
それを感じるのに私はどうやら相当なエネルギーを使ったようで、よたよたとよろめきながら帰路に就く。