ある一人の生き様を思い浮かべて


 

オスロに住んで3年の年月がたち、ムンク美術館へと足を運んだ。

 

どうしてだろう。

どうして行かなかったのだろう。

どうして行けなかったのだろうか。

 

近寄りがたいような何かが彼の作品にはあったのか。

それが彼の独特な世界観をさらに強調する。

ひときわ違う、異彩な存在感を放っているのかもしれない。

 

3年間眠っていた彼の世界への思いとともに美術館に行ったものの、私は入った途端に感情が抑えきれなくなってしまい、一緒に見に行った友達をおいたまま引き返し、一人座って休んでから、絵を見ることにした。

その時展示されていたものは、もう一つのムンクについてのエッセイ「光と闇の狭間で」でも触れた、オスロ大学講堂の壁画のアイディアスケッチから最終的な完成版に近づくまでの過程の作品。こうやってあの壁画になったのかと、時をさかのぼるようにして目に焼きついていった。もちろん美術館に展示された完成された絵というのも素晴らしいのだけれど、その過程のスケッチは苦悩の様子や、堂々としている絵からは想像できない、色々な感情が揺れ動き模索している姿が伝わって来る。それが自分にも伝わって来て、きっとそれは、普通に生きている人が受け止めるにはあまりにも深く、厳しく、重いもので、それで自分は耐えきれず絵の前でよろめいたのかもしれない。

壁画は、決して暗いテーマではなく本当にムンクの絵だろうか…?と思うほど柔らかくおだやかな色使いで、彼の作品から漂うものはいったいなんなのだろうか。じーっと見つめてみても、やはり分からない。深い。

 

 

先日、ベルゲン美術館で、ムンクの初期の作品を見た。

「叫び」や「マドンナ」のような代表作品に見られる特徴、ムンクに対して一般的に持たれているイメージとは違うのだなと感じた。

彼の中で何が起きたのか、どんな心境の変化だったのか。なぜ、ある時、彼の描き方が劇的に変わったのか。

美術館の後にして入り江へ。波打ち際に立って遠くの家々を見つめながら、彼自身の心の波はどう打っていたのかと考えた。

 

ムンクは母と姉を幼い頃に亡くした。

なぜ、最初から暗い絵を書かなかったのか。

 

それを知りたくなって、彼の世界に浸りたくなって、オスロに帰って来て数日後ムンク美術館へと向かったのだ。

 

よろめいた私は椅子を見つけて呼吸を整えようとしたけれど観光客が多くて落ち着かなかったので、映像が流れている地下のオーディオルームへと階段を降りて行った。

そこで見た、たった30分の映像「生命のダンス」が忘れられない。

その映像を見て、どうして自分がムンクの世界観に引き込まれていったのか、その答えを見つけた気がした。

そしてこの映像をもう一度見たくなり、そのDVDを買って家に帰った。