光と闇の狭間で


The sun, Edvard Munch (University of Oslo)
The sun, Edvard Munch (University of Oslo)

  日本では、日本語の「音楽」という単語からか、どうしても音楽に対して「音で楽しむ」「音で楽しませる」というイメージを持たれる。

 

「もっと音楽を楽しまなきゃ!演奏している人が楽しそうじゃなきゃ、聴いている人はつまらないよ。」

 

「どんなに辛い時だって笑顔でいなきゃ。明るく考えよう」

 

よくこう言うことを言われる。しかし、音楽は、励ましたり、希望を与えたり、元気づけたり、幸せにするだけのものだけではないような気がする。大変な事は、そのことを痛い思いをしても受け止めることが必要で。明るい事柄をどこかから引っ張って来て、適当に流してかき消して、本当にそれで良いのだろうか。

 

 ムンクの壁画を目にした時に、そんな事を以前考えていたことを思い出した。

私がその壁画を見たのは、オスロ大学創立200周年記念イベントだった。普段は見ることができない旧校舎の壁画の間が特別公開された。

 

 アートの方は無知で恥ずかしながらムンクの事もきちんとは知らないけれど、彼の作品はどこか暗い印象で、死・不安・孤独などをテーマにしている事が多いことは感じ取れる。だから彼の作品を眺めていると、なんというか決して明るいテーマではないのに、なぜか気持ちがすっきりする気がするのだ。アートの領域になかなか手を出せなかった私がムンクに関心を持った理由は、きっとそれは彼が単にノルウェー人だからではなく、彼の生き方、歩んで来た人生と、その全てが絡み合うように表れている絵に惹かれたからかもしれない。

 

 彼は「死」に対しての不安だけではなく、「生」に対しても不安を抱いていた。これを知った時、衝撃を受けた。大抵の人々は死ぬ時が来ることに怯えるからだ。そういう人々は死だけでなく、病気になること、苦しむこと、悲しいこと、辛いことからもうまくすり抜けて、生き延びようとする。しかし、楽しいことや嬉しいことに対しての方が、ムンクは恐怖心を抱いていたのではないだろうか。もちろん、これは壁画を見て勝手に感じた印象なので根拠も何も無いのだけれど。

 

 オスロ国立美術館にはムンクの間があり、そこは彼の代表作とじっくり向き合える場所。ムンクが若い時に描いた「叫び」が、とてもはっきりとした色彩で描かれていた。ノルウェーの綺麗な夕日を日々目にしているけれど、それと同じような光景が描かれているのではなく、燃えるように赤く叫んでいるように見える。だから「叫び」というタイトルがついているのかもしれないと想像をふくらませた。

「思春期」は、過去に自分の中に持っていた様々な感情や記憶を思い出させた。この絵にもまた不気味な黒い影が描写されている。裸の少女は無防備で顔はこわばり、神経質で繊細な幼いムンクを連想させる。

 ムンクの視線からみた女性像がそのまま描かれている印象を受けた「マドンナ」。題名からどうしても描かれている女性に目が行ってしまうけれど、むしろ彼女にとりつくような背後の暗く不気味な存在に、何か強いメッセージを感じた。気のせいかもしれないけれど、アングルが微妙に下から見ているような気がする。それによって彼が女性を強く大きい存在と感じていたこと、ある種の恐れのようなものまでもが伝わって来る気がした。

  「病める子」を初めて目にした時の衝撃は今でも忘れられない。心をえぐられるような、自分の全ての感情を絵の世界に持っていかれたような、そしてムンク自身が抱いていた悲しみや絶望感が絵を通してひしひしと伝わってくる、そんな感覚。2人の女性をモデルとして、ムンク自らが幼い頃に感じた死が迫る恐怖、そして愛する人を失う辛さの両方を描いているように感じた。

 

 今回見た壁画では、そういった彼の心情はあまり感じなかった。若い頃に描かれている有名な作品には見られない、明るさと淡い色使いがそこにはあった。ムンクの世界をまだ理解できていない自分の中からはなかなか的確な言葉が見つからないけれど、なんというか若い頃の代表的作品は、深い苦しみ、忍び寄る影、そして果てしない闇にひきずりこまれるような雰囲気を持ち、決して理解することはできないような作品ではないかと思う。むしろ当時の若い彼は自分が作品に込めた思いを理解される事を望んでいないのではないかと感じた。万人に受け入れられるような絵を書くことを好まなかったかのような彼の作風は、私には魅力的に映る。

 

 彼は、明るい絵を書くことで自分の心の闇を無理に押し込めようとしたり忘れようとはせず、その闇から目をそらさず、あえてそのまま絵に描く事で気持ちと心を整理できたのかもしれない。そう考えると、私がムンクの暗い絵を前にして気持ちが落ち着いたのもどこかつながる気がする。後世に何か残したい、自分の芸術性を伝えたいと、そのために作品を生み出す芸術家は多い。しかし彼にとって描く事とは使命のようなもので必要な存在であり、彼自身が作品を描く事によって救われていたのだろう。

 

 後期にかけて、ムンクが描く絵はまるで彼自身と絵の世界がだんだん離れているように感じる。それはきっと若い頃は、心の平穏と安定を求め絵の中に入るようにしてのめり込んで描いていたのが、やがて自分に対しても回りの事柄に対しても、彼が少しずつ距離をとるようになったからなのかもしれない。そうやって年を重ねるにつれ客観的にとらえて描かれているように思う。きっと、自ら死ぬという選択肢をとる事へ逃げず、華やかで芸術家が集まる地からしばらく離れ、極寒の故郷で療養をし人との関わりからも遠ざかり、そしてまた社会に戻るという恐怖に耐えきった彼だからこそ、生まれた作品がたくさんあるのかもしれないと想像したら、思わず泣いてしまった。

 

 そうやって乗り越えた彼の元に、オスロ大学から壁画の話が舞い込む。今までのように自分だけの作品としてではなく大学という公共の場に描く事で万人に向かい合い、今までと違う「装飾画家」として、彼は太陽という生命誕生の象徴を意識したのかもしれない。若い頃の作品には多かった「闇」とは対照的な「光」が眩しいほどに描かれているのが印象的。その時既に生死の存在や不安と恐怖が、壁画を描いていた時の彼の中から完全に消えていた訳ではなかったとしても、いつかは訪れる死が存在するからこそ生きる価値があると彼は悟ったのかもしれない。

 

 ここに書いた全てが、勝手な私の想像に過ぎないのだけれど、その想像をもっと大きく膨らませてみたくなったから、そのうちムンク美術館へ足を運ぼうと思う。