フィンランド留学を終えて帰国してから、もうすぐ4年が経つ。
今年はフィンランドにとって、独立100周年を迎える特別な年。
久々にやって来た。
行きの空港行きのバスに乗り込むと、心配そうに見守る両親が大学生くらいの女の子を見送っていた。
その光景を目にして、なんだか懐かしい気持ちに。
楽譜が入っている手さげを強く握りしめる自分。
何が起きてもこれさえあれば、大丈夫。
ヘルシンキに着くと、空港から車でヘルシンキ郊外の小さな島セウラサーリへ。
凍った湖の上をそーっと歩く。
ああ、自分はこの瞬間のために今まで黙々とやってきたんだ、と凍える寒さの中でも胸が熱くなる。
人と人の足跡が重なり、それに犬とか動物たちの足跡に自転車やベビーカーの跡も加わって、色んな歩みが見える。
湖の上をてくてく歩いた後は、ぽつんと一軒建っている素敵なカフェへ。
倒さないと運べないくらいの、にんまりしてしまうほど厚みのある、大きな大きなバナナケーキとアップルパイを頼むことにした。
ポットに入って温めてあるコーヒーは、正直いつからずっと入っているのか分からない。
カップはずらっと棚に並んでいて、お好きに選んでどうぞという感じ。
椅子もテーブルもけっこうガタガタするけれど、そーっと気をつければ紅茶はこぼれないし、こういう椅子に座ると不思議とくつろげる。
お世話になった知人のお宅は、裏の庭を散歩すると鹿の足跡があって、庭の奥には湖が広がっている。
朝、起きて寝ぼけているときには鹿を見かけた。
サウナに使うんだろうな、割った薪が家の裏にしっかりと積み上げられている。
友人とサウナでゆっくり話をした時間が、忘れられない。
しゃれたカフェでも、家のソファでも、リゾート地のビーチでもなく、
サウナだからこそ深まる会話や親交がきっとあるんだろう。
フィンランド人の気質というか、距離の取り方や近づき方のようなものが見えた気がした。
ヘルシンキには、お気に入りのカフェがいくつかあるけれど、その中でもある一軒のカフェは特別な場所。
不安や心配ごとがあるとここに来て一人で過ごしたり、友人に連れられて美味しいパンを食べたり。
寒い雪の日も、春風が吹いて緑がきれいな日も、どんな気持ちの日も腰を下ろすと落ち着く空間。
その日々と同じように、お皿に山盛りに入れてくれて、選べるトッピングがどれも美味しいサラダをほおばった。
友人のおかげで、自分の眼にヘルシンキの町並みはとってもやさしげに映った。きっと自分も少しずつ変わったのだろう。
フィンランドの人々は、独立100周年にむけて大騒ぎするという感覚ではないという。
盛大にお祝いをするというよりは、熟考と洞察の機会と捉えているのだそう。
自分達の国がどのようにして生まれ成長していったかを振り返り、将来どんな国になりえるのかを見据えるチャンスと考える精神は、日本人も見習うべきところがありそう。
ここに至るまでに大変な歴史があったことを考えれば、この先についての考えも自然と変わってくるということ。
テンペリアウキオ教会でのコンサートを終え、次の日はフェリーに乗ってタリンへ。
船の上で、映画「ブルックリン」に出て来る、主人公が船でひどく酔うシーンを思い出した。
主人公は、船を降りた先の街で、美しく、たくましく成長していく。
当時の船とはだいぶ違うけれど、天候が悪く、波が荒れていたらしく、けっこうな船酔いをしてしまった。
海を「渡る」ということば。
国を出る、違う国へ行くことが、昔はどれだけ命がけだったか。
飛行機や電車よりも、船に乗ることで一番実感する。