色んなことがある日も、
特に何もないはずの日も、
脱水症状になるかっていうくらい、泣きたくなる事がある。
涙がとまらないって、こういう事を言うんだって思うくらい、泣き続ける。
いつもだったら、ある程度わぁって泣いたら落ち着いて、さぁ出かけようってなって、腫れた目をなんとかごまかして、家を出るのだけれど、家を出ても涙がとまらなくて、大粒の涙でジャケットが濡れて、なんで泣いているのか分からないまま、ただ下をむいてうつむいたまま、大学へと向かう。普段はバス停に向かうけど、落ち着くために歩いてみる。自分の歩くペースよりちょっと遅めに。
そうすると、自分の今まで見えなかった景色が見えてくる。上をむいて、歩いてみる。自分の知らなかった角度が、自分の視界に入ってくる。
そう、まさにこんな風に。
ノルウェーの日差しが、私の涙を乾かそうとしてくれている。
どうしてだろう。こんなに悩むのは。なぜ。
と、悩んでしまうのだ。
悩むことは苦しい。けれど、悩み抜いて、何かが生み出される。
苦しみが在るからこそ、芸術は在る。
私の両親は音楽家ではない。決して裕福な家庭でもない。
でも品だけは失わないよう、育ててくれた。
品位を失えば、全て自分が発する一言一言や、一音一音に表れる。
自分の中のスポンジが吸収していく、じっくりと。自分では気づかないところで、確実に。
鍵盤に触れる手だけではなく、感受性も大事なものだ。
良いものを探し求める人生は、きっと色んなものを切り捨てることになる。
何が必要で、何が大切か。先走りせず、手元のものに惑わされず、考え抜く。
人とは違う環境や、考え方、時間の使い方、価値観などによって、周りが自分の元からどんどん離れていく。
そして、いつかたった独りになる。でも何かを極めた人は、その人に感銘を受けたまた違う誰かときっと出逢うことができる。そう信じている。
それが、人生において大事なことなのではないだろうか。
自分も変わって、周りも変わっていってしまうことは、すごく不安だ。
誰もが、変わらず、今のままで楽しく過ごしたいと願うだろう。
でも、もし全ての人間がそうであったら、きっと自分本位なものしかこの世に存在しなくなる。これは試練だと思う。
追求することから逃げない人は、素敵だなと思う。
自分が周囲の考えと異なっていたとしても、
誰ひとり自分の意見を理解してくれなかったとしても、
それは当然起こり得ること。そういう感覚は覆い隠しても、後々もっと苦しくなる。
それぞれが違う視点で考えたり、様々な角度から物事を見たりすることがなくなる。それはとても危険なことだ、と海外に出て痛感した。
みんなが同じ方向性や考えをもっている環境で、誰か一人でも違う意見を投げかけてみたり、 本当にこれで良いのか、と問いてみたり。
考えがぶつかり合うことや折り合いをつけることも必要になってくる。
それができる人は、真の自立を感じる。
私にとって「自立している」というのは、自分という人間と真正面から向き合っている人。
そういう人は、他人に対して必要な批評ができる。
自分以外の誰かを批評するのは、自分自身に対して厳しさがなければなかなか難しい。きっとそういう人は周りに敵ができてしまうかもしれない、よく思われない事もある。だからこそ、妥協せず自分を貫くことができるのだと思う。
そうやって、自分自身で生き方を見つけて、磨いていく勇気を持っている大人に、自分もなれるように。
まずは、語学学校の宿題を片付けないと。。。