Keane


"Bedshaped"

 

世の中には人が溢れている。そんな事は、もちろん誰もが知っている。

でもその事の「本当の意味」を理解するとは、どういう事なのだろう。

 

周りに流され、

人の真似をし、

人と違う事をしたがり、

個性的でありたいと願い、

周りから浮く事を恐れ、

自分自身を失い、

社会を嫌い、

社会の中の自分の位置を必死で確かめようとする。

 

たとえば、何に対しても

 

人気投票、

売り上げ、

視聴率、

関心度、

知名度、

 

結局どれだけの人がそのものを好きか、興味があるか、心を動かされたか。

人数が結果となる。最後は多数決で決め、少数の意見は無視されるか、つぶされるかだ。

 

何かを流行らせ流れを生み出すのは少人数だけれど、その流れに乗っているのは大勢の人間であり、流されている人がいるからこそ成り立つ「流行」。そして更に、今は世の中の人のどれくらいの人が、どんな意見を持っているのか簡単に分かる時代。そうやって大勢が群がってるものに、更に大勢が群がることになる。

 

他人と情報や自分の意見を簡単に分かち合える事は100%良いこと、とは言えない。他人からの口コミ情報をそのまま自分の意見にし、そうしていくうちに、自分はどんなものが好きで、どんなテイストが好みで、どんな感じだとしっくりくるのか、そんな貴重な感覚をどんどん失っていくのはとても悲しいことに思える。

自分も昔は、どれだけの人をうならせるような演奏ができるか、簡単に言えばどうしたら大勢を見方につけられるか、そんな事ばかり考えて練習を続けていた。でもやっぱり自分は、音楽を商業的に考える事ができないし、聴衆を消費者のように見る事もできない。消費者が満足する、望む商品だけを生み出す生産者になったらそれは芸術家ではないように感じる。

 

自分の聴きたい音楽、奏でたい音楽も、周りの影響を受けながら、刺激を受けながら、自分の音楽間を作り世界観を確立していきたい。そう思えたのはノルウェーに来てまもない19歳の時に出会ったKeaneのアルバム「Hopes and fears」のおかげかもしれない。