フィンランド留学も残りあと数週間となった。
おそらくヘルシンキ留学エッセイとしては最後になるだろうと思うと、
何を書けば良いのか少し迷いながら書いている。
正規留学と交換留学の違いを実感する事が出来たのはもちろん、
海外の大学に在籍しながら、更に他の国に留学するというのは、思っていた以上に面白い経験となった。
そして学生最後の年となるこの一年が、新しい土地でじっくり考えて見つめ直すために与えられた時間だと思って過ごしていたから、環境の変化に随分助けられたのだと思う。
けれど、新しい環境に自分を放り込んだ事によって、覚悟していた以上に苦しい事が続いた。
しばらく食べ物が喉を通らず、体重が落ち、体力が落ち、気持ちが落ち、誰にも自分を見られたくなかった。
一部屋をシェアしていて自分一人のスペースがないため、
部屋にひきこもって落ち込んでいたらやはり心配をかけるわけで、
一人になりたい時は郊外の野生公園やバルト海が一望できる丘へ出かけた。
寒くなってからは、
大学の練習室に何時間もこもって、
自分が今日初めてピアノを触った様な気持ちで楽器を鳴らしてみたり、
図書館の居心地の良さを知ってからは、
本を探すために自然と足を運ぶようになった。
以前はなんというか、自力で解決しなければいけないという観念に圧迫されていたけれど、外からもたらされる影響に救われる事もあるのだと少しずつではあるけれど受け入れている。
ピアノに関しても同じような意地を張っていた。
実は、シナモンロールを片手にこのエッセイを書きながら、
就活のための書類の内容を考えている。
毎日8時間ピアノに向かっても得られない事を、
他の事に懸命に取り組んだ事によって得る。
そして他の事であってもそれはピアノに活きる。
一つの事をずっと続けて来た自分にとって、
これは受け入れるのに時間がかかる事だった。
少しでも他の事に手をつけたら、ふうせんの糸がするりと自分の指からぬける様に、ピアノがどこか遠くに行ってしまう気がしていた。
せっかく自分が命をかけて取り組んできた事を、何かで縛り付けたりしがみつく様ではまだまだ自信がない証拠なのだなと感じて、自分は幼稚なのだなと思った。
20年以上ピアノと向き合って来て、それ以外のことを知らない事への危機感。
音楽をやっていると、自分の事を特別に見てしまうことがある。
会社員になる道を選びスーツを着ている人達を見ても、自分はなるわけがないと全くの他人事で。
しかし、本当に特別な存在感を放っているのと、
特別でいたい・目立ちたいと思っているのは違うのではないだろうか。
大勢の人々が働く会社で埋もれる不安を抱えていても、必死にもがいて自分の弱さに打ち勝つ人には必ず存在感があると思う。
そうやってピアノではない道で自分を確立していく事は、
やめるのではなくて、自分の音の世界をパン生地のように寝かせておくような感覚。
熟成させて、就職して社会の事を少しずつ知っていって、
音楽に携わっていた20年間では知り合う事の出来なかった人と話をして、
見る事の出来なかった景色を見て、経験できなかった苦労をして泣く事もあって、
そうやって数年後自分の音楽がどんな風に発酵しているか楽しみに就活に取り組んでいる。
〜まだ働いた事がない人間の戯言でした。こうやってカフェでのんびり書ける時間もあとわずかなのだなと思うと、毎日を大切に過ごそうと思います。〜