心に沁みることばたち


来日したノルウェーの恩師との演奏会直前に、ひといき
来日したノルウェーの恩師との演奏会直前に、ひといき

夏以来エッセイから遠ざかってしまっていたけれど、書いては消してしまっての繰り返し。もう今年もあとわずかとなったら突然書こうって思ったり、なんだか不思議な年末。

17歳の突っ走っていた頃にウィーンで出逢ったステキなマダムと、先日再会した。帝国ホテルのレストランで話しましょうと言われて、あぁ変な服着て来てしまったなぁという後悔と、普段来ないような雰囲気にドキドキしながらお話しを聞いた大切な時間。音と向き合うこと、芸術は高貴で、それでいてごく当たり前にそこにあるもの。そういった話は時間を忘れてしまう。聴き終えた後の清々しさや、音楽が素直に温かく伝わってくる素晴らしさを語ってくださった。

 

帰国して半年、会社での仕事が始まって3ヶ月が過ぎて、人の温かさに救われている。もちろん傷つくこともあって、それは何をしていてもどこにいてもあること。

素敵なものを引き寄せたり、優れたものを引きこんだりすることは、その力の分だけどこかで反動が来て跳ね返されることも堪えなければならないのだと思う。

先月あった本番で、自分の創作活動が滞っていてくすぶっているんですと打ち明けてくれたお客さんがいた。なんだかちょっと嬉しかった。くすぶったからこそ、何かがちゃんと見えてくる、きっと。
そうやって、情けなさや悔しさを引き出したり、恥ずかしさを思い出させたり、時にはかき乱されたりしても良いのだと思う。幸せになったり、気持ちが良くなったり、楽しくなったり、そういう音楽以外は否定されるような波を感じることがあるけれど、逆に聴けば聴くほど悶々とする音があって良いのに。

毎日のお昼は、戦時中に使われていた会社の建物が大切に残されていてそのまま食堂になっている。

木造で斜めった階段は手すりにつかまらないと落ちそうで、床はみしみし、きしきしと音をたてる。そんな、ガラス張りの高層オフィスビルとはまた違った味わい深い昭和な空間で美味しいお味噌汁をいただいて、向かいに座る編集長のお味噌汁にはなぜか、トンカツの下に敷かれていたはずのキャベツの千切りが入ってることとか、ミステリーが転がっている。一日一日をだいじに丁寧に過ごすと小さなことに気持ちがほっこりする。


色々考えこんでしまうこともあるのだけれど、休日美容院に行って仕上がりにどきどきしたり、ふらっと入った洋服屋さんでちょっと変わった店員さんと話がはずんだり。そこで一目惚れで綺麗な色のジャケットに出会う。買い物をするとお店を出てもいつも静かに嬉しくて、すぐには箱から出さないで、細かい模様がステキな紙袋に入ったままで少し眺めていたい。贅沢は出来ないけれど、作り手の気持ちが込められたものや、シンプルで良質なものにふれることで気づくことってあるなあと思う。
一番哀しいときは、幸せのはじまりと紙一重だから、またたくさん嬉しい気持ちになれるエネルギーを蓄えてねと見守ってくれる友人がいることに感謝したい。

自分の考えること、感じること、気づくこと、思うことがなかったらもっと楽に生きられたのかな。そう思うことがある。
けれど、描くものがあるからこそ、胸の中に渦巻く想いがある。どこかに向かってるという意識が、自分の中に在ることを気づかせてくれる瞬間。中途半端と思えることは、実はとても価値のあることだと教えてくださった方、その方も本番のときに偶然いらしていた方。
話すことや、ことばに対して身構えていた自分をほぐしてくれるようなことばで、じわーっと目元が熱くなった。
その方が言ってくださったように、本当に行きつきたいところがあるからこそ、妥協できないからこそ、涙が止まらないことがある。
言い訳してしまったと感じる気持ち、悔いる涙、中途半端を実感したとき、それらは痛みを伴うのも事実だけれど、
自分を顧みることから逃げないで、ふんばるための強さをもらえた気がした。

演奏会の向けてこつこつ準備していくなかで、プログラムに載せる文章のために今までのエッセイを読み直す。
震えながら真冬の北欧で撮りためてきた写真の中から映像を作っている最中に目に留まった、ヘルシンキで秋に撮った一枚がなんとなくぼんやりと頭に残る。仕事へ向かうひんやりと寒い朝や、企画書を持ってホールへ打ち合わせに行った帰りに、5年ぶりの日本の秋の、懐かしさや哀しさや色んな薫りを拾う。

自分がやらなければいけないこと。このままではいけない。

うじうじばかりして何も出来なかった高校生だった自分がせっかく海のむこうへ飛び出したのに、居心地の良い環境でぬくぬくしていたら、勇気をふりしぼった当時の自分に叱られてしまうような気持ちになる。

 

日々のいろいろに追われて必死に進まなければと、ついむきになってしまう 

けれどそういう時こそ、余裕のない自分とちゃんと向き合って、労って、認めること
自分が感じている痛みも、今ゆっくりと時間をかけて、やがて人の心の傷が癒される音楽や言葉に変わっていくと願うこと


厳しさは必要だけれど、ときには立ち止まって、好きな音楽を聴いて空想の世界を旅する、美味しいものを大切な人と一緒に味わう、良い映画の世界に浸る、何も考えずにふかふかの布団にくるまる、ささやかなことに感謝する時間があっても良いんだと気づかせてくれたのも、演奏会に足を運んでくれた大切な人たち。

ひとつの本番を迎える度に涙をたくさん流して、次の日は腫れた目をメガネで隠して会社に行くのだけれど、
音楽に息を吹き込むことは命をかけるということで、これは大げさなことでなく、とても覚悟のいること。
生きることから逃げようとしてからっぽだった自分の人生に、息を吹き込んでくれた大切な人たちへの恩を忘れずに、
色んな想いと感謝を込めて、これからも音楽をやっていきたい。


それが来年にむけて、自分の密かな決心。