芸術家や作家というのは、自然の中で生活する事を望むことがある。
山小屋や海辺の家にこもって、創作活動を深める。
ベルゲン郊外のグリーグが住んでいた家トロルドハウゲンへ行った時も、そんなことを考えた。
グリーグが過ごしていた湖のほとりにある作曲小屋はとても小さく、等身大の像を見ると彼は本当に身長152㎝という小柄であったのだと驚く。
ここで様々な葛藤と、苦悩と喜びが交わって、 彼の音楽が今の時代に届いているのだろうか。
このような情景を目にして、なだらかな波音を耳にして、曲を書かずにいられるだろうか。じっとしていられるだろうか。
もし彼が画家だったらスケッチをしたかもしれないし、詩人だったら詩を書いたのかもしれない。
彼自身が感じた、木々のあいだをすり抜けるやさしい風、淋しげな湖の波音、雨に濡れた葉のにおい、澄みきった空気の心地良さ。そういった消えゆくものを何かしらの形として後世に残していく。
「その場その時に在るもの」は、儚くも美しい。そう感じられることは、人としての喜びの根源のように思える。
日々考えたり目にしたり感じたりしたことが、演奏に反映されることにも通ずる。
美しい景色が彼の創作意欲をかきたて、何かを生み出そうという思いにも繋がったのか。
グリーグが愛した水辺を眺めて、想像してみる。
「美しいものを目にし、感じたことを表現する、何か形にする」
昔に生きた作曲家がどんな人物で、どんな思いで作品が作られたか。
そのすべてを理解することや、彼の思いをそのまま再現することはできない。
しかし、遺された書物や愛用していた道具、書かれたメロディーや詩から学び得ることは無限にある。その一つひとつを紐解いていくかぎり、心から芸術を愛するという感受を持つことを私たちは忘れないのだろう。
グリーグの家を訪れて、じっくりとその空間を肌で感じる。
音楽、自分の心、そして自然が調和することによって、それが自分の魂の音となるのかもしれないと、グリーグと彼の妻が眠るちょっと変わった墓をみつめながら考えた。
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